松本宏一の写真で見る履歴2

1960年生まれ。まわりにたくさんの大人がいる中で育つ。大人達の心のわだかまりを常に感じる。生まれた時から発熱の繰り返し。幼稚園も嫌いで、家の倉庫の段ボールに隠れて大人たちが大捜索する。小1から、なぜ学校に行かなくてはいけないのか疑問を持つ。体を動かすことが好きな半面、よく風邪を引き、寝込んだり、体育を見学したり、朝礼で倒れたりした。中2の時、身長168センチ、体重43キロで、夏休みに家業の設備工事を手伝い、貧血で倒れたりして、大人はこの暑いなか大変だなと一念発起して、ボディビルトレーニングを始める。

嘉明おじさんの部屋で。


※ここの間の写真は手元になく、実家にあったら載せます。

 

目に見えない世界の探求をし続ける。

16、7才
16、7才

高校の時以来、友達と何回か山にキャンプに行きました。ベンチプレス100キロ上げるまで丸坊主でした。高校の体育の柔道の授業で優勝する。懸垂36回、握力右86キロ、左64キロで、学校で腕相撲1,2を争う。その後、何もしていない中年の銀行マンと東京のシルバージムでプロレスラーに勝った奴には腕相撲に負ける。

私の愛犬だったムク。亡くなったとき、よく面倒を見ていたので獣医さんからほめられ、トロフィーを頂きました。

17、8才。高校の時、大薮先生に2週間ほど西表島に連れていってもらった。


目に見えない世界の探求をし続ける。

山梨学院大には受かるが、日大には落ちて、日大の通信学部に通うために中野のアパートで一人暮らしを始め、孤独に苛まれる。その後、他の生徒同様、学校に行かなくなり、昼なお暗いアパートで吉川栄治の宮本武蔵を読みふけり、夕方から後楽園ジムでトレーニングして、友人ができる。その後、設備工事のバイトをして、田舎で青空の元で働きたくなり、実家に帰る。

20才前後。大薮先生と数十回行った八丈島にて。当時、BC(浮力調整器)がなかったので、呼吸法で浮力調整をしていた。

20才前後。親父の設備会社の社員旅行にて。
20才前後。親父の設備会社の社員旅行にて。

19才の時、高校の恩師大薮先生と西表島に行き、洞窟探検しました。 西表島には高校の時にも連れていってもらいました。

目に見えない世界の探求をし続ける。

 

20才前後。職業訓練校で建築図面を習う。夏は冷房が入っていなかったので、上半身裸で図面を書いていて、運動会の県大会の短距離で活躍して、母校を優勝に導いた。ボディビルの成果を上げたが、朝礼時に貧血で倒れたりしていた。

22才の時、日本で最年少のジムのオーナとしてボディビル誌に紹介された。

ジムをオープンした時、1982年の両親。


23、4才
23、4才

ボディビルコンテスト千葉大会で予選落ちした時。また、反骨精神が超強力で、音楽をガンガンかけながら、ときには倒れるまでトレーニングに打ち込む。これ以前には家業の設備工事などを手伝いながら、毎日筋肉痛とだるさに戦いながら、ハードトレーニングに打ち込んできた。狂気をはらんだ眼をしているが、ケンカや暴力沙汰は一度もない。

 

東京に3畳のアパートを借りながら、大原のジムと行ったり来たりして、ヨガや瞑想、セラピー、精神世界、スピリチュアル等々の探求であちこちに行く。

 

 

 

23、4才。六本木のディスコに通っていたころ。

26才くらい。恵比寿と綱島のジムをオーナーと二人で交互に見ていた時の、綱島にて会員さんから写真を撮らせてくれと頼まれて。ビートたけしのテレビ番組にボディビルダーとして2回出演し好評で、3回目も頼まれたが、風邪で断る。

 


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27才。アナンダ・マールガの瞑想を清澄寺の仏舎利にて行う。

27才。自然食レストランでの結婚披露宴。みどりが着ているのはアナンダ・マールガの人に借りたサリー。


目に見えない世界の探求をし続ける。

29才。市原市五井で私の所に来た猫ですが、その前にひかれて死ぬ一歩手前だった猫を道路脇に移動させてやったからか?この猫も交通事故で亡くなってしまう。

31才。君津市久留里平山の市営住宅にてヨガと瞑想に励みながら、浄化槽管理士として働いていた。

33才。浄化槽管理士で独立して、住んでいた大多喜にて。

近くのお寺のお坊さんにもらったニャー。その後、近くで工事をしていたおじさんに欲しいといわれ、もらわれていきました。


ノンタンももらってくれと言われ、引き取ったが、成長したのち、突然、姿を消した。トレーラーハウスにて。

トレーラーハウスに住んでいた時、前の別荘の人からもらってくれと言われ、引き取ったチャトラ。1メートル位のヤマカガシをぺろりとたいらげた。キジも仕留めてきた。


35才。ゆる体操を知り、基礎ゆるビデオと統一棒(ゆるゆる棒)を購入。同じく35才、レイキを取得後、同じ会社で上野先生の講習の時、アーユルベーダの先生の胃の痛みをただ手をかざすだけで緩和し、その後、このシンプルな気を高める方法を探し、神沢先生の気療に出会い、その後、学院の講師を一時勤めた。同じく35才で整膚を知るが、気療のほうがすげえんだぞといった気持ちがあり、その時は素通りした。

 

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36才。トレーラーハウスのデッキにて。ビールうまかったなあ~。

まわりは森だったので、息子もこんな感じで遊んでいた。


昼間、ビジョンで見たことが実現してしまった。台風で浸水したトレーラーハウスですが、その後もジャッキアップして住んでいました。

息子が友達になった、近くに引っ越してきたイギリス人家族の息子さん、ディグビーとトレーラーハウスで。ご両親は余り日本語はしゃべれなかったが、泊りに行ったりしていた。また、トレーラーハウスのまわりにはその他たくさんの外国人が住んでいました。


チャトラ。

シロを撫でていたら、チャトラも入ってきて、ワンと鳴いた。


39才、岬町の山の上で独立して始めた、気の健康院マツモト。

長生村にて。お客さんの知り合いが拾って、もらってくれと持ってきて、もぐと名付けたが、拾った人の苗字にもぐという字が入っていることがあとでわかり、みんなでびっくり。後に引っ越しのため飼えなくなったが、お客さんがもらってくれた。

長生村にて。チャトラ。隣にあるのは、スイング健康法の器械。

41才。長生村にて。


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太東のリゾートマンションにて。突然、我々の部屋に入ってきた鳩。何度追い返しても入ってきたので、びっくり。 
  

5、6才の頃、祖母の施術に始まり、度々の里山での癒され体験の後、「人間が一番汚いんだ~!」「自然を破壊するな~!」などの心の叫び、健康と幸せの探求が始まる。14才の時ボディビルを始め、27才でやめるが、ストレッチングは今も続けている。少しして、エネルギー療法の研究を始める。20才からヨガや瞑想、マクロビなどの食養、精神世界、スピリチュアル等々の研究を始める。気功療法は30才過ぎから始める。

写真は他人が写っているものは省きました。

 

本当のことは何だ、真実は何だ、本物は何だといった探求は今も続く!!